摩訶不思議な教科選択、全国でも稀な受験型❗️今でも僕と同じ方を知りません❗️

桜新町の歯医者、ラポール歯科クリニック院長の栗田でございます❗️

ネタ切れ気味なので、僕の生い立ちなどを少々、、、、地元の深小、深中、からこれまた公立の都立高校に行く。とにかく悪かった。素行が、、、詳しくは記載しませんが察して下さい、、、

突如として生物の勉強の面白さに取り憑かれた。何の目的も目指していた物もなかった。農学部に興味が湧いていた記憶、これを何とか活かすには?と考え、文系から理転した。

学部が限定されているので東京を問わず、地方大学も受験できる大学が少ない、、、、ましてや数学なしの英語、生物、小論文、全国で100人ぐらいしか同じ受験型の生徒はいなかった。

知り合いの友達から、君、農家になるの?と揶揄された。

歯学部も受けられる大学が極めて限られた。歯学部を受けていたのは、受験型に合う大学であったから、、、、入学まで卒業した歯科大のある場所さえ知らなかった。こんな方います?いないでしょ?

東京の大学も合格していた、農業大学の農業工学部、親はそっちを強力に薦めていたが、わがままを通させてもらった。

知り合いも誰1人としていない北海道の大地。最寄りの駅に着き、涙が出た。

18歳で自分の職業が決まる、この現実を消化するには経験が不足していた。。。

最初の1年間はとにかく辛かった。物理、化学、が、、、高校にきちんと通っておけばよかったと何度も後悔した。大学生なのに高校の参考書を買った。

1年で10人近くの人がいなくなった、皆、休学や退学した。

学年が上がるにつれ自信が芽生えてきた。手先が器用だったから、、、ガンダムのプラモ、ラジコンを何台も作っていたから、、、家電製品もよく分解していたからなぁ、、、、

そんなこんなでストレートで6年で卒業でき、国試も受かった。

今から同じ事をやれと言われても、絶対に無理だ。人生なんてこんな些細な事の始まりから変わるのだな?と最近、切に思い耽る時、多し、、、、

これが人生、これもまた人生、、、

農学部に進学していたら、今頃、僕は何をしていたのだろう?

ドラえもんがいたら、ポケットから道具を借り、そんな自分を見てみたいです。